闘病記(13)通院のために引っ越し

翌年1997年の2月。女子医大病院に通うため私は都内に引越しをしました。
いろんな民間療法や治療など様々なことを試しましたが一向に良くはなりませんでした。

輸血に通う駅の階段を上るのが辛く息切れが激しくなってきました。
手すりを持ち腕の力で身体を引っ張り上げるようなかんじで・・・
お年寄りが私の横をサッサと上がっていきます。ショックでした。
いちおう私はスポーツ選手。もう以前のように軽やかな動きができなくなった身体に「何で?・・・」と信じられなかったし、自分自身情けなかったし、とてもとても悔しかったのでした。
元気な時はこんな駅の階段ぐらい1段抜かしでものの10秒ぐらいで駆け上がっていたのに。
電車で立っていられなくて途中の駅で降りしゃがんでいたこともしばしありました。

肝臓の状態が悪くなってきたことはわかってきていました。
輸血の副作用で鉄が皮膚に沈着し身体の皮膚の色がドス黒くなってきていました。
私の顔は日焼けがとれてきて白くなってきているはずなのに茶色というかくすんだ灰色に近い顔色になってきていたのです。
デスフェラールという鉄を体外に排出するとても痛い注射を毎回打たねばなりませんでした。
私の両腕は注射のしこりができ、固く脹れてしまっていました。
その注射の後は赤に近いオレンジ色のお小水が出ていたのでした。

3月末ラウンドしたのを最後にクラブを握る事はありませんでした。