〜私の妹のドナー体験記〜

姉が血液の病気と知った時、すごくびっくりしました。
真っ黒に日焼けし、病気とはまったく縁がなかったのに・・・。
しかも、骨髄移植という方法でしか治らないなんて・・・。
それからドナーになれるかどうかの検査を家族みんなが受けました。
HLA(白血球型)が合わないと移植できませんし、兄弟でもなかなか合うのが4分の1の確率と聞いていました。

骨髄バンクに登録をしてドナーを必死に探していらっしゃる方が多い中、姉の場合、幸運にも私のが合うことがわかったのです。
その事を家族みんなが心から喜びました。
私もホットした反面、誰にも代わってもらう事のできない大役を任され、人一倍怖がりということもあり、とても不安でした。

それから数年、何事もないまま時が過ぎました。
東京の病院には行っているのは知っていましたが・・。
ある日、姉から電話がかかってきました。
いつもは元気な声なのに、弱弱しい声で、「移植することになった。」と、涙声でした。
私は、いつかはこの日がくると、覚悟はできていましたが、本当に電話がかかってきて、正直 こわい!どうしよう という気持ちになりました。
でも姉は、発病してから不安、怖さが常に心にあり、大変な毎日を過ごしてきたはずだと思うと、胸がつまりました。
と同時に、姉のためにがんばろう!と思ったのです。
移植をするにあたり、検査の為に何度か東京に行きました。
何本もの試験管に、血液を採りましたが、途中で貧血ぽく、気分が悪くなりました。
その横で、輸血していた姉もびっくりして飛び起きました。
周りにおられた看護婦さんに、やさしく声をかけていただき、しばらく、姉と共にベッドで、横になっていると気分が良くなりました。
初めての検査で緊張していたのかな? 肺活量の検査もありました。
麻酔の関係の検査のようでした。
当時体重が48キロだったので、吉永先生に、もう少し体重を増やすようにね。
と言われました。
検査の結果、何一つ異常がなく「あーよかった。」と思いました。

体力をつけて、太って、少しでもいい骨髄を・・と思い、栄養のある物を積極的に食べました。
体重も50キロに増えたのです。
移植の2週間前、私の輸血用の血液を採血しに再び東京に行きました。
今回は、なんと400ミリリットル。この前採血した時、気分が悪くなったので、お医者さんがたくさん採っても大丈夫の方法を教えてくださいました。
採血の前に缶ジュースを2本飲むという事でした。 おかげで全然大丈夫でした。
姉はもう移植前の前処置が始まっていました。
もし ドナーである私が、怪我をしたり、風邪でもひいたら大変な事になる。
と思うと何事にも慎重になりました。
不安で怖いという気持ちよりも、姉もつらい治療をがんばっているんだと思うと、胸が熱くなり、さらに私もがんばるぞ!
という気持ちが湧いてきたのです。

移植前日入院しました。以外と夕食も食べれましたし、夜もぐっすり眠ることができました。
何度も、お医者さんや、看護婦さんが声をかけてくださったからだと思います。
当日、昼から手術室に入りました。その時も、婦長さんがずっと手を握ってくださり、とても心強かったのを覚えています。
心臓もドキドキしていましたが、知らない間に麻酔がかかり、気がついたら終わっていました。
全身麻酔だったので、全く痛みもなく、無事に終わっていたのです。
「どうか 神様 ゆうこちゃんを助けてあげて。。。」と祈りました。

移植は、5時間程かけて、無事終わったよと聞きほっとしました。
夜は、だんだん麻酔が切れて、腰の辺りがズキズキした痛みが感じられましたが、そんな事はどうでも良かっんです。
ただ無菌室にいる姉の事が気になって私の事は、どうでもよかったんです。
移植が成功して、元気になってくれる事だけを考えていました。

次の朝、トイレに行くのに歩きましたが、腰が重い感じがありました。
他は何も変わりませんでした。一日の入院でした。
しばらくは、腰に、鈍痛が残りましたが、 普通に生活できました。
もちろん今は全然なんともありません。
私は、普段からおっちょこちょいで、どんくさくって、何のとりえもなかった。
でも、姉の身体の中で私の骨髄が元気に血液を造ってくれていると思うとこんな私でもお役に立てたんだと感慨深いものが、こみあげてきます。
姉のドナーとなり、姉の命を助ける貴重な経験ができた事、とても嬉しく思います。
これは私の一生の誇りです。
姉妹の絆もより深くなったと感じます。私の二人の子供たちも、ゆうの事が大好きなんです。

最後ですが、主治医の吉永先生が「お姉さんのドナーになっていただいて、本当にありがとうございました。」
とおっしゃった言葉が、心に深く残っています。今も思い出すと涙が溢れてきます。

今姉は骨髄移植から21年。
長い入院生活と拒絶反応で長いこと点滴でご飯が食べれない状況は私の骨髄のせいかもしれない・・と責任を感じ姉に申し訳ないことをしたとものすごく落ち込んだ時期がありました。
しかし拒絶反応や合併症を乗り越えてくれ元気になり、普通にご飯が食べられゴルフしてた時までにはいかなくても体力もついてきたみたいで本当にうれしく思います。

私が患者だったらとてもじゃないけど乗り越えられなかったと思います。
ゴルフはしてなくても今姉は多くの患者さんの光になっています。
骨髄バンクの活動は移植を受けた患者さんだから同じ患者さんの気持ちがわかるのだと思います。
血液型が私のB型になっても、明るく活発なところは子供の頃からまったく変わっていません。
ほんとうは自分のことをいちばんに考えてほしいのですが、人のお役に立ちたい、元気を伝えたい、お人の笑顔を輝かせたい活動をするんだとその意思は変わらないみたいです。
パワフルでバイタリティーあふれる姉を誇りに思います。
これからも決して無理をせず、姉らしく輝いてほしいです。

                                

千佳代